医院二題〜小田原行

【医院二題】
家の近くに歯医者が二軒並んでいる。隣り合わせのビル。マーケティングのミスか? そのうち、呼び込みが立つのでは?

上の子を本郷の目医者に連れて行った。下が眼鏡屋で上が眼科。先生一人でやっている。受付もいない。診察を終えた先生が、受付窓口に回ってきて会計を済ませ、終わると次の患者を呼ぶ。スゲェ 初めて見た。

横田めぐみさんの骨が別人のものだった。こういうところを国家と呼べるのだろうか。曽我ひとみさんは、したたか。立派。こういう人は何事かを成し遂げられる。


【緩慢なる自殺】
母方の祖母が入院し、小田原まで家族で見舞いに行ってきた。叔父・叔母夫婦の手に負えなくなって入院とのこと。

ほとんど一日中眠っている。食事も4週間もしていないらしい。前に母が実家に行ったときは唾を吐きかけて帰れといったらしいが、入院後はその気力も無くなったと聞いていた。

行くと、たしかに眠っているが、音や声には反応する。今回は、自分が見舞いに来たことを相手に認識させることが目的ではなく、お婆ちゃんの姿を見ることが目的だったので、話をする必要はなかったのだが、妻が音の刺激を与えるのも大事だというので話しかけていた。その結果、僕がもらった言葉は、「帰れ」と「お前誰だ。知らない。」だった。実に嫌そうな顔で言った。

朦朧とした意識のなかで相手を認識できなかっただけかも知れない。痴呆状態になっているのかも知れない。悲しいことだが、もっとつらい思いをしている人はいる。

もう一つの解釈。叔父夫婦の世話になりつづけ、「申し訳ない」「死にたい」といい続けてきた祖母の、生かされ続けたことに対するささやかな抵抗なのでは? 食事を拒否し、面会を拒否し、緩慢なる自殺を図っているのではないかということ。後者の解釈に惹かれるのは、自己満足だろうか。


【小田原行】
上に書いたように、家族で小田原まで行ってきた。
行きは「こだま」を使い、思ったより時間がかかるのと高いのに吃驚。祖父が危篤になったとき、出来たばかりの新幹線に乗って会いに行ったのは、なんと40年前だ。

目的の病院は小田原駅から歩いて10分。駅前は様変わりしていて、小学生の頃、長期休みのたびに小田急で遊びに行った頃の面影はなかった。

祖母が寝ているので時間つぶしに、上の子の観たがっている映画を調べてみると、小田原(駅周辺)には映画館がないことが判明。お城の方まで散歩することに。母が出た城内高校の跡地を過ぎ、天守閣近くまで上ると、広場に動物の檻が。突如、懐かしい思いが。「いとこの○○ちゃんとここに来たことがある」。これだけでも収穫だった。

夕飯は「だるま」という和食屋。建物は古いが料理も古い。帰りは、ロマンス・カーで。昔は(貧乏で?)ロマンス・カーに乗れなかった。田園地帯を走っていた小田急も、今は住宅地を走っている。妻が「昔は小田急は小田原まで行ってなかった。」 何言ってんの! 元は小田原急行だよ。